「自由を得た者の生き方」 5.20 出エジ20:1〜17、マタイ22:34〜40
神と私たちの関係は、いつも神の方から始まる関係です。神が、私たちを見出し、呼びかけ、
深い愛によって関係を築きあげてくださいます。
エジプトから脱出したイスラエルの民もそうでした。そんなイスラエルの民に、神は十戒を与えて
くださったのです。十戒の前文として、<わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。>(2節)と語られました。
これは深い関係が、すでに築かれていることの宣言です。つまり、十戒は、神との関係を生み出すための条件というより、
神の救いに生き続けるために与えられた道しるべです。十戒と訳されますが、神の十の言葉という意味です。
十戒の前半では、神を神とする事が教えられます。「刻んだ像を造ってはならない。」「主の名をみだりに唱えてはならない」との言葉があります。これらは、神さまを小さくしてしまうことになるからです。刻んだ像は、自分のイメージできる神さまでしかありません。自分の願いを叶えるために主の名を呪文のように使うことは、自分の想像を超える神の大きな働きを拒みます。神は、人のイメージ、願い、想像を超えて、エジプトから導き出されました。過ぎ越しの出来事や海が割れる奇跡は、だれも願わず、想像もできなかったことでした。神は人の思いより大きいのです。人の計算や目に見えることだけに振り回されず、想像を超える神の働きかけに信頼して生きられるのが、自由を得た者の姿です。
後半の言葉は、他者を生かし、他者を重んじ、他者に与えることです。これを主は、「隣人を自分のように愛しなさい」と要約されました。自分が愛されていなければ、人は隣人を愛することは出来ません。神がこれらを語られたのは、神が私たちを愛しておられるからです。私たちが隣人を愛せるほどの愛を、神がすでに注いでおられる。だから愛せるだろう、との期待が込められています。神に愛されているゆえに、私たちは他者に心を向けて生き始めるのです。